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重原陣屋に想う

当会館「パティオ池鯉鮒」の近くに、江戸時代当地を治めた元福島藩重原陣屋跡(刈谷市下重原町のちに陣屋門を半城土町に移設)があります。

先日、旭日双光章を受賞された知立市上重原町在住の大先輩にお会いした際、今年5月28日・29日の両日に亘り、元福島藩主の後裔である板倉様御一家をお迎えし、この地域の皆さんが、ゆかりの地をご案内し懇親を深められたということを伺いました。今も変わらぬ御当主に対する民の心情に触れられた板倉様は、とてもお喜びになられたということです。

その大先輩から重原陣屋に関する興味深い冊子を紹介いただき、拝読しました。
冊子によると、今から220年前(寛政4年)、当地域(旧碧海郡23か村)の領地を管轄する福島藩重原陣屋が建てられ、それ以来明治4年までの長きに亘り福島藩板倉家が治めていたということであります。その後重原陣屋の建物は取り壊されてしまいましたが、当時の表門と玄関は今なお残っています。


現在の刈谷、知立、安城、豊田の南部の三河領に加え、板倉家の先祖地(岡崎市)及び菩提寺(西尾市)を含めると、この地域一帯が福島藩に関係していました。ありがたいことに、代々の藩主と藩士の政治が立派で、人情味のある政治をされたことで、領民も忠誠を尽くし全国に名だたる繁盛した藩として、安定した幸せな生活が維持できたということなのです。
皆さんご存知の板垣退助の腹心として自由民権運動に働いた内藤魯一もこの福島藩士です。そして有名な「板垣死すとも自由は死なず」という名ゼリフを残しています。

福島藩統治の江戸時代から郡役所の置かれた明治~昭和、そして今日に至るまで、この地域が政治、商業、文化の要衝として栄えてこられたのも、そんな先人たちのお陰であるのだと痛感しました。
当会館の職員が大学時代に受けた「方言調査」の講義によると、「江戸時代に行われた藩の入れ替え統治などによって互いの地域に遠い地方の方言が残されていることがある」という事例があるということですから、もしかしたらこの地域にも福島弁が残っているかもしれませんね?


遠い地でありますが、一時期でもこの地域を統治していた藩。そんな歴史に触れると、去る3月11日の東日本大震災による大惨事と福島原発事故という先の見えない不安を抱く福島県民のことは、他人事とは思えません。私たちにできる支援はどんな事でも行いたい!と思ってやまないのです。そう思いませんか?


・・・話がそれてしまいました。
歴史に話を戻しますと、江戸時代、この地は、東海道五十三次39番「池鯉鮒宿(ちりふのしゅく)」と呼ばれていました。ちなみに、知立神社建立の西暦850年当時はこの地域を「知利布」と呼び、律令以後「知立」、平安時代に「智立」と木簡や文献にあります。

当館の愛称「パティオ池鯉鮒(ちりゅう)」は、その福島藩板倉家が統治されていた江戸時代の地名をいただいております。そして、当館の“花しょうぶホール”は、当地が繁栄したその江戸時代を起源とする伝統芸能「知立山車文楽」「山車からくり」の劇場上演をコンセプトとした施設でもあります。そんなことを考えてみると、あの華やいだ時代に近づけられるような会館にしていかなければならないなぁーと、しみじみ思います。


さて、この花しょうぶホールでは毎年「知立山車文楽・からくり保存会公演」が開催されます。今年は、9月11日(日)に公演予定、伝統の技をご堪能いただきたいと思います。この話題については、またの機会をお楽しみに。
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