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好都合と不都合、共に生きる 【館長】

第二の社会に飛び込んで1年が過ぎました。
新しいメンバーと共に地域の皆さんに喜んでいただく仕事をさせていただいており、感謝しています。
前職場においても組織(チーム)をうまく動かすには、何が大切かと考えてきました。仕事は人にかかっています。人を動かす技術的な手法は様々にありますが、人間の内面、つまりこころの在り方についてはなかなか難しい。

私たちは毎日を、人と人で取り巻く社会で生活しています。時として我を通す言動に出ることも多々あります。この私たちの現実を、仏教では「娑婆(しゃば)」と言い、インドの言葉で「忍耐」を意味するそうです。

よく「〇〇のせいでできない」「〇〇さえいなければ」など、自分と相手(対象)に分けることがあります。そして、さらに損得、勝敗、敵味方など、「好都合」と「不都合」に分け、そして不都合を退けて好都合を得ようとします。しかし不都合なことが消えさえすれば、本当に幸せになれるのでしょうか・・・?

人との関わりって皮肉なもので、自分が好都合と思っていることも、他の者にとっては不都合ということも多くあります。また、かつての不都合が今は好都合ということもあります。問題が解消したといっても、実は、それはごまかしであり、目を逸らしただけであって、実際は解決しないまま、実はこころの奥でさらに自分を苦しめてしまう場合が多いものです。


日ごろから私たちは、「共に」という言葉を何気なしに使っています。「共生社会」「共存社会」とか。しかし、それはただ単に共に生活するということではないと思います。「共に生きる」という言葉の内実は、傷みであり懺悔だと思うのです。

日本史上最大の「東日本大震災」のあまりの悲惨さに、いま日本に生活する誰もが、浮かない気持ちを抱えているでしょう。それはなぜかと考えてみると、やはり、みんなが繋がっているということではないでしょうか。日頃は気づかないし、むしろ無関係だと思っているが、実は、みんな繋がっている。だから、心が晴れないのでしょう。

ましては、毎日顔を合わせて過ごす仲間であれば、なおさらです。自分も相手も、そして他の者も互いに関係しあって成り立っていることに気づき、すべてに共存意義があることを知ることが大切だと思うのです。そこにはじめてこころのチームワークができあがり、「共に生きる」ことの喜びや傷みが分かち合えるのではないでしょうか。


芸術文化活動は、そんな娑婆に生きる一人ひとりにスポットをあて、好都合と不都合の理解を深め、それぞれの人がそれぞれに明日に向かって、新たな歩みを始める機会となり得るはず。
そのことを信じ、肝に銘じて、これからも地域の皆さんの「共に生きる」をサポートしながら、ちりゅう芸術創造協会は、親しみのある会館づくりを目指していきます。
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