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歴史をひも解く

現在、知立市では「新編知立市史」の編さんがおこなわれています。10年余の歳月をかけての大作業であります。
古代から人々が集落として生活を営んでいたこの地域、文化は人々のその時代の生活であり、これほど多くの文化の歴史(文化遺産)のある所は余りないと思います。
歴史をひも解くことは、その時そのとき、人々がつくり出した文化の到達点、これからの知立市のあり方の何かが見えるかもしれません。「新編知立市史」の果たすべき役割は大きく、「市史編さん室」の皆さんへの期待は高まるばかりです。市民の皆さんを始め地域の方々も資料提供・調査に協力しましょう!

さて、知立の5月はまつり一色! 全国に誇れる二大まつり「知立まつり」「かきつばたまつり」が催されます。
その一つである「知立まつり」(本祭)では、5月2・3日の両日、荘厳且つ華麗な五台の山車が、知立神社及び周辺道路を練り歩きます。その勇壮な引き廻しは観る者を圧倒する迫力!
さらに知立神社境内では、山車の上で国指定重要無形民俗文化財である山車文楽(人形浄瑠璃芝居)・からくり(からくり人形芝居)が、見事な継承された技で上演されます。これらは1600年代に始まったもので、知立神社(西暦850年建立)に奉納された伝統芸能です。このブログを読まれた方は是非お出かけください。私のお薦めするまつりです!

知立まつりのパンフレットには、祭礼の始まりを告げる「赤瓢箪」の紹介も載っています。この紹介を見たとき、「初編知立市史」を監修された新行紀一教授(愛知教育大学)の講演で聴いたことを思い出しました。「赤瓢箪」は豊田市の堤から来るということ、そして長野県塩尻に知立神社の祠があるということです。
なぜ堤から「赤瓢箪」が来ることから祭礼が始まるのか? なぜ遠く長野県に祠があるのか? 知立神社の古代からの政治的、宗教的な意識がどうであったのか、謎が深まります。 

また知立神社の紋は、四つの波模様で「青海波」と書きます。この地域はかつて「碧海(あおみ)」といわれていたことが、藤原京の木簡で明らかになっています。西中地区の史跡発掘から貝塚も発見され、古代はこの近辺は海であったのか?と思われる要素が揃っています。
そういえば東海道は池鯉鮒宿から鳴海宿へ進みますが、鎌倉街道は知立から東境・西境を経て豊明の沓掛に進みます。奇しくも東海豪雨の時は福田(みよし市)まで水に浸かったのですから、海はどこまでだったのか、どうような地理であり、人びとの生活形態はどうであったのか・・・。歴史的事実が史料により変わることになるかもしれません。

今後、市史の編さんが進むにつれて、知立神社や宿場の史料から「宿場とまつり」も見直されるでしょうし、鎌倉街道の駒場の極楽寺(寺子屋=鼎足校)の史料から「宿場」を機能させていく上で身に付ける必要があるとされていた学問や、子供たちの生活等が、明らかになるかもしれません。

近代に至っても、宿場時代を経て1960年代まで郡役所があり、この地域の中心地であった知立が、高度経済成長とともに、知立団地造成、宅地開発へと進んだ市政の変遷や新しい都市化への検証、さらに、鉄道高架事業、知立駅周辺土地開発による知立の変化など、歴史解明はまさしく文化の変遷の解明であり、とても重要なことだと思います。

パティオ池鯉鮒も、山車文楽・からくりの伝統芸能、かきつばたを題材にした演劇等、知立の歴史・文化を題材とした公演を積極的におこなっていますが、「新編知立市史」の編さん作業の中で、新たな地域文化が発見され、それを題材とした新作公演等の事業展開に繋がっていくことを期待しています。

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