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「客をつくり出す」という発想

以前、前職場で宝塚市の駅前再開発を視察させていただいたことがあります。その時に宝塚歌劇場orという街の成り立ちについてもお話をうかがいました・・・。

明治終期のことですが、阪急コンツェルンという会社が、大阪を中心に、池田・宝塚・有馬・箕面・西宮の近郊都市間に電車を走らせようとし、宝塚の駅ができました。ところが、大都市大阪とはいえ当時の大阪近郊は、不況に加え、鉄道沿線に観光地も少なく、鉄道利用客の見込めるところではありませんでした。創設した会社も、このまま存続するか、解散するのかどうかを問われていたということです。

同社を創設した小林一三氏は、とてつもないアイデアマンであったようです。同氏のアイデアがモノをいったのはここからでした。
当時、大阪の人口は中心部に集中していました。小林氏は、「この中心部の過密人口を郊外に移し、電車で大阪市内に運ぶことにすれば、乗客効率は一挙にあがるのではないか。」こう考えたのであります。

「客」をつくるには大阪周辺の郊外に人を住まわせることが必要と考え、そのために沿線の宅地開発を進め、駅に駐輪場を設けました。宅地開発が進めばおのずと郊外居住者は増えることとなり、当然のことながら鉄道利用者は増えます。この相乗効果は大きいと決断したのです。

そればかりか、田舎の小さな温泉場にすぎなかった宝塚温泉にヘルスセンタースタイルの温泉場をつくり、保養地として多くの浴客を集めることも考えました。更に、そこへ新しい観光地として、皆さんご存知の宝塚歌劇場を創設したのです。片田舎だった宝塚の街を、名実ともに「宝の塚」としたのであります。
この発想が、その後の全国の私鉄を中心とした都市近郊開発の原形となったのはいうまでもありませんでした。

この「客がいなければ客はつくり出せばいい」という発想は、一つの経営のモデルといえます。

いま、全国に乱立した劇場及びその関係者は、厳しい経営局面と社会的立場に立たされています。民間の多くの小劇場が幕を閉じました。
バブル経済期、公立の芸術文化施設も公共投資の一つとして、全国の多くの自治体で建設されました。しかし、バブル経済の終焉とともに、国・自治体の財政は冷え込み、厳しい時代となり、そこに平成の大合併も加わって、一自治体に複数の施設が存在する状況となりました。おのずと都会の芸術及び舞台技術関係者も職の不安にさいなまれることとなるわけであります。

そういった時代、財政状況も含め、国はこれらの施設が目指すべき新しい芸術・文化の方向性を示す、「劇場法(仮称)」の制定の検討に入ってしています。いずれにしても、これらの会館は特化され、一部は淘汰されていくことになるかもしれません。今から心して、芸術文化の必要性と素晴らしさを皆さんにお伝えすべく、地域創造と来客創出に向けた一層の努力が求められます。

当館も、文化の多様性を踏まえ、多くの芸術分野(音楽・演劇・舞踊・伝統芸能など)の均衡と調和を図りつつ、幼児から高齢者まで幅広い層を対象にした事業を行っています。また来館者の創出活動として、“入り口の敷居を低くする”ことを意識したパティオ入会地(いりあいち)事業を創意工夫して実施しています。

前述の小林氏のようなダイナミックなアイデアは、なかなか出来ることではありませんが、「地域に根ざす 親しみと にぎわいの会館」として、ひとりでも多くの方々が気軽に足を運んでいただける会館をめざして、更なるチャレンジをしていきたいと思っております。
 
是非、パティオ池鯉鮒がどんなことをしているか、覗きにお越しください。
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