百尺竿頭に一歩を進む

  • 2012/02/17(金) 15:52:37

最近の企業決算を見るに、いままで日本を引っ張ってきた産業が失速していることがわかります。なかでも「家電製品と言ったらメイド・イン・ジャパン」と言われていた電機メーカーが軒並み多額の赤字決算であります。
日本は、エレクトロニクスその他の分野で、韓国をはじめとする諸外国に次々と押されてしまいました。もちろんEU経済危機、ウォン安・円高という為替レート問題もありますが、技術開発に対する考えを、消費者目線でもう一度見つめ直す必要があるように感じられます。

今は、多くの消費者が必要とする機能を絞り込み、使いやすさを第一に考えている外国製品が多く売れているように思われます。そうすると価格は安くなり消費者がそちらにシフトしていくことになります。マニアックで高度な機能の付いた製品を一般の多くの消費者は求めているわけではないと思います。量販を考えたらそういったことへの対応と工夫も大切なことではないでしょうか。

中国宋代の禅僧・無門慧開(えかい)が述べている言葉。百尺もある長い竿の先をのぼりつめて、さらにもう一歩先へ進めと説いています。本来は禅の悟りの境地のことを言っていますが、転じて充分に工夫をこらしたその上に、さらに工夫を加え、つまり努力の上にも努力を重ねることの大切さをいっています。

もちろん、技術開発を否定しているものではありません。技術も化学も、すでに行き着くところまで行き着いたと思っては発展がない。むしろそこからのもう一歩が、更なる新しい発見・発明を生み、技術開発につながると思います。我が国の世界で認められている高い技術者の更なる前進を期待したいものです。

芸術の世界では、この「百尺竿頭に一歩を進む」精神が大切にされ、受け継がれております。芸術は、人の心に夢を語ることです。人に感動、癒し、勇気、生きていく力を与えられないものは、評価されないし、終わってしまいます。

パティオ池鯉鮒も、皆さんに愛され、認めていただき、たくさんの人々でにぎわう会館をめざして、工夫に工夫を重ねていきたいと思っていますので、皆様のご支援をお願いします。

スポンサーサイト

見つめ直すとき

  • 2012/02/06(月) 15:36:20


昨今の危機のニュースは、いのちの危機ではなく、経済危機がほとんどです。
EU圏問題も米国問題も、タイの洪水災害までが経済危機でくくられている。原発の問題も、いのちの危機というより多くはエネルギー供給という経済的側面で語られています。

「豊かさ」の基準が「経済」ということに置き換えられているからでしょう。原発に限らず、あらゆることが経済効果で測られています。世の中全体がそういう価値観へシフトしているし、政治的な思惑によってつくられているようにも思われてなりません。

原発の寿命について、原発事故担当大臣は「40年以上の運転は極めて難しい」と言い切ったはずが、半月もたたないうちに最長60年まで運転可とする延長期間の上限が示されたり、またまた40年と訂正されたりと、訳が分かりません。
技術への過信が呼び起こした事故で、広い地域で今もなお多くの人々苦しめています。その過信が正されていないというのに、アメリカの原発推進の考え方に押されたり、電力業界への配慮に傾注したりとブレブレです。国民の安心、安全を求める声はどうなったのでしょう。
原発事故が起これば土地は失われ、希望と光を見失わせ、私たちの命を傷つけるばかりか、これから生まれてくるいのちをも傷つけることになります。

お金がいくら多くあっても、常識的に自分で使いきれる金額は決まっています。
「身の丈」といいますが、本当に額に汗して働いて得た金なら、そんなにむちゃくちゃに使えるものではないはず・・・。それが残念ながら今は、世の中の仕組みに乗せられ、身の丈ということを忘れ、利益優先の効率主義にのまれて大量消費をしています。私たちは後々のことを考えようとしなくなっているのです。

昔は、山の木を切る時に、山と木に許しを乞い、切った後には植林したものでした。それを繰り返し、孫やひ孫の代のことを考えながら、先人は生活していました。

高度経済成長以降、日本は経済的な豊かさを追い求め、人知を絶対化してきました。残念なことに私たち現代人は、大きな時の流れとか自然との関わりといった豊かさを失って、矮小化された世界を生きているように思います。

東日本大震災において、東日本の方々が見せてくれた振る舞い、秩序を乱さず、互いに譲り合い、助け合い、我慢する姿勢。これらの粛然とした行動に対し、日本人の精神文化の高さと謙虚な国民性に世界は賞賛を贈っています。
私たち日本人は、もう一度あるべき日本人としての精神と姿勢を見つめ直す時ではないでしょうか。経済と文化、モノと精神、そういったものを両立させていくことは当然のことですが、精神文化の方へ社会のバランスをもう少し、引き戻す必要があるのではないでしょうか。

芸術文化は、いつの世も、そこに生きる人々を映し出し、人々の声なき声、氷山の一角に隠されている本質を問い質し、ありたい明日の姿を体現しようと葛藤しています。

芸術文化が、豊かな精神文化社会を育む一助となるよう願ってやみません。