幸福を問う

  • 2012/01/20(金) 15:31:11


ギリシャの国家財政の格下げ問題が発生し、先のアイルランド、ドバイに続く新たなる金融危機に向かう世界経済の様相を表してきました。
ギリシャの場合は、国家財政の半分以上を国債に依存している状態で、まさに慢性的、構造的な問題で、手だては簡単なことではありません。そこにスペイン、イタリアの財政危惧が表面化し、イタリアでは政権交代が起きました。これだけ世界経済がグローバル化してくると、EU圏で解決できる問題ではないことは誰でもわかります。もし特効薬があれば、財政赤字に悩む日本は、とっくに不況を脱出しているはずです。

しかし、考えなければならないのは、「幸福である」ということはどういうことであるかということです。確かに、経済的に裕福になり、物質的に満たされれば幸せを感じる。しかし・・・。

以下の文章は、スウェーデンの作家・スティッグ・クレンソンが書いたものです。


  ≪幸福への呪文≫
   第二次世界大戦後、スウェーデンは豊かな国となり、人々が「繁栄」という状況を生み出した。
   私たちは、あまりに簡単に幸福になりすぎた。
   人々は、それは公正であるか否かを議論した。
   私たちは戦争を回避し、工場を建設し、そこへ農民の子どもが働きに行った。
   農業社会は解体され、私たちの国は新しい国になったが、
   人々が本当にわが家にいるといった感覚を持てたかどうかは確かではない。
   1950年から60年に至る10年間に、毎日300戸の小農家が閉業するというスピードで、農業国スウェーデンが終焉した。
   人々は大きな単位、大きなコミューン(市町村)を信じ、都市には遠い将来にわたって労働が存在すると信じた。
   私たちは当然のことながら物質的には豊かになったが、簡単な言葉でいえば、
   平安というべきものを使い果たした。(地域社会の崩壊)
   私たちは新しい国で、お互いに他人同士になった。
   小農民が消滅するとともに、小職人や小商店が、そして、病気のおばあさんが横になっていたあの小さな部屋、
   あの小さな学校、あの子豚たち、あの小さなダンスホールなども姿を消した。
   そういう小さな世界はもう残っていない。小さなものは何であれ、儲けが少ないというのが理由だった。
   なぜなら、幸福への呪文は≪儲かる社会≫だったからだ。

  
みなさんはどのように感じられましたか?

わが国は今、日本史上にない規模の災害に遭い、「生きる」ことの苦悩にさいなまれています。東日本大震災は東北ということではなく、日本全体に起こったこととして受け止めなければなりません。震災と原発事故が、おかしくなりかかっている日本人に、自分たちのことを考え直す機会を与えてくれているように思われます。
     ・ 人々は支え合わないといけない。
     ・ 化学の過信による利益優先の効率主義からの脱却
     ・ 生命の安全、人の尊厳、自然と社会の共生を最優先
自然、芸術、伝統文化、地域コミュニケーションなど、私たちが人として「生きていることを喜べる社会」が求められているのではないでしょうか。
スウェーデンと同じような道を歩んできた日本ですが、そのままではないにしても、もう一度その原風景を思い起こし、「真の幸福」な社会を少しでも取り戻していくことが求められているのではないでしょうか。

そのために今何ができるのか、芸術・文化活動の拠点となる文化会館の立場からも、皆さんと共に模索していきたいと思うのです。

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2012年を迎えて

  • 2012/01/01(日) 15:25:32


新年おめでとうございます。

2011年は、まったく世界中が激動の年でありました。もちろん日本も例外ではありません。地球のグローバル化と口では言っていましたが、実感薄であったことを反省しています。タイの洪水が即、日本の基幹産業を揺るがす時代。天変地異と政治、経済の異変がトリプルパンチで襲ってきた年でした。
2012年が幸福であることを祈ってやみません。人と人との絆を深め、みんなで助け合っていく社会を築いていきたい。それには最初の行動として「あいさつ」を心がけたいものです。

挨拶の語源は、仏教語の「一挨一拶」です。挨拶の〝挨〟という字は「開く、迫る」また「押す」という意味があり、〝拶〟は「迫る、開く」「押し返す」という意味であります。つまり「互いが心を開いて相手に迫る」ことなのです。

日本人の礼儀正しさは世界の定評でしたが、最近はあいさつをしない人が増えました。つまり心を開き合わないで一日を始めているのです。しかし、どういう訳か、利害・上下関係のあるところではみんなあいさつするのです。自分を中心とした尺度で、あいさつする相手を決めているように思えます。

係長のときは愛想よくあいさつしていたのに、課長になったとたんふんぞり返ってしまう人がいます。奥さんが旦那にも子どもにも「おはよう」と言わないかと思えば、なんと?ペットには「ポチおはよう」と声をかけている・・・。

私たち日本人は、知らず知らずにあいさつする人を区別しています。これでは諸外国に信用されないし、嫌われてしまいます。日本人は、湾岸戦争後の難民救済、ベトナム難民救済の時にも、外国の人々が困難な状況の中に自ら飛び込んで、難民を救おうとしているときに、日本人は自分の手を汚さず、お金で済ませてしまおうとしたのです。

その基本が毎日の私たちの暮らしの中にあることを忘れてはなりません。利害関係のあるところでは「おはよう」というけれど、一銭にもならないと思ったらいわない。―――という常日頃の態度が、そういったところに現れるのです。

東日本大震災後の被災地救済に手を差し伸べてくれる諸外国の人々には、無償の〝愛〟を感じました。たしかに現代の日本人は物質的に豊かになりましたが、一方で日本人の心の基盤というべきものを失いつつあるのではないでしょうか。
私たちが社会生活を営む以上、人間との関わりをなおざりにはできません。朝の挨拶ひとつで家庭も職場も変わります。なぜなら挨拶する人の心はいつも開かれているからです。

多くの芸事も、まずはあいさつで始まりあいさつで終わります。文化を大切にしている所以でしょう。
パティオ池鯉鮒も、「地域に根ざす 親しみと にぎわいの会館」として、たくさんの方々に気軽に足を運んでいただける会館を目指して、職員一同明るいあいさつで皆様をお迎えしたいと思います。

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